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マイペース70代

マイペース70代

縁は異なもの

三年ほど前から「私的ネットワーク・ミニコミ」を年に二回程度発行していて、
今週始めにそれを各地の友人達に発送した。
学生時代、仕事、慶應通信、ボランティア活動など、
色々な場で出会った人達とのつながりを大切にしたいという思いで始めたものだ。

今朝、そのお礼と近況報告のAさんからのメールが届き、
それを読んでビックリしたことがある。
最近は彼女も忙しそうで、この数回はミニコミへの投稿もなかったけれど、
「元気ですか?」の意味を含めて送付したのだ。

そのメールで何に驚いたかというと、
彼女は高遠さん(イラクで拉致された人)の高校時代の同級生であり、
友達だったとことを知ったからである。

高遠さん達が拉致された時は、
世間の見当はずれのバッシングにいても立ってもいられぬ思いで、
日記にも何度も書いていた。
その経緯の中で私の心はかなり疲労し、
ニュースネタで日記を書く気が失せたことは、
この日記を継続して読んでくださっている何人かの人は
わかってくださっているかもしれない。
しかし、当時の私と高遠さんとは個人的には何の接点もなく、
彼女の活動を拉致以前に知っていて
「少しばかりの関心」を持っていたに過ぎない。
だが、実は「友達の友達」であったのだ。

そのメールによると、
Aさんはイラクに出発直前の高遠さんとも会っていたようだ。
だから、高遠さんが拉致され、その後の様々な経緯については、
私どころではなく心を痛めていたし、今も彼女への心配は続いている。
当然ながら、彼女を救うために様々なアクションを起こしていたらしい。
しかし、今は住む所が離れているため、
遠くから心配しながらも高遠さんを信じて応援するしかなく、
それがもどかしいようだ。

さて、そのAさんとの出会いは、もう15年も前だと思う。
彼女は当時福祉系大学の学生で、私の職場に実習に来た。
どのくらいの期間だったのかよく覚えていないが、
彼女はピッタリと私にくっついて、
私の仕事のアシスタントを通しての実習をしてくれた。
当然「職場実習」であるから、多忙な仕事の合間を縫って、
その仕事の法律的な位置づけや地域での役割、
仕事をするにあたっての心得、
多様な業務についての細々とした説明などを、私が担当することになった。
私はずっと「福祉畑」で仕事をしていたのだが、
「福祉」をキチンと学んだことはなく、
大学生の職場実習を担当するのも初体験であり、
自分なりに勉強しながら彼女と接したわけである。
だから、Aさんとの出会いはとても刺激的なものとなり、
どちらの方が勉強をしたのかわからない。

それに、意欲的な彼女の姿は、私に初心を思い出させてもくれた。
さらに、彼女の反応によって、
自分の考え方や仕事の仕方が認められたような気持ちになり、
嬉しかったことも多い。

もう一つ、彼女との出会いで一番大きかったことがある。
それは、「ちゃんと学びたい」という気持ちが
急激にふくらんだことだった。
福祉を学問として学んでおらず、
仕事での必要に迫られて学んでいる切り貼りの知識が、
まさに「穴ぼこだらけ」ということを痛感したことが一つ。
もう一つは、彼女の語る「大学」への憧れであった。
ゼミの仲間や教授達との交流、
様々な知識を体系的に学ぶことの幅広さと奥深さ・・。
彼女が毎日書くレポートを読む時、
私の知的好奇心は刺激され続けていたのである。

彼女は素晴らしいアシスタントでもあった。
短期間で右腕になってしまった彼女を失った私は、
以前にも増して多忙さを痛感することとなった。
今も昔も、私は人が思うほど器用ではない。
一番不器用なのが「切り捨てること」である。
一度手がけてしまったことは、
どうにもならずにバンザイするまで切り捨てられず、
結局は自分も周囲にも迷惑をかけてしまう。
そんな泥沼状態に陥り始めながら、
私は「大学生になる」という夢を見るようになった。
そして、「論文を書いてみたい」と思った。
それも、Aさんの卒論を垣間見たことからである。
何か一つでも、自分のモヤモヤとした疑問をとことん追及し、
それを明らかにするために書き綴ってみたい。
それが、私の大学進学への一番の動機付けだったように思う。

それから数年、私は退職して慶應通信の学生になった。
Aさんは卒業し、当時願っていた職場ではないが福祉系の仕事に就き、
結婚し、遠くの地に住むようになり、
年賀状と年に数度のメールのやり取り程度の付き合いになった。

そういえば、彼女は高遠さんの住む町で育ったと聞いた気がする。
確かに年齢も同じくらいだ。
だが、今朝までAさんと高遠さんを結びつけて考えたことは全くなかった。
私が高遠さんのことを他人事に感じられなかったのは、
ひょっとするとこのような「縁」があったからなのかもしれない。

本当に「縁は異なもの味なもの」である。

(2004年06月17日)


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